悲しさを認めるということ。
おはようございます。
今日は朝からちょっと悲しい話をします。
明け方に見た夢の話です。
まだ60代ぐらいの両親が、実家に居て、私と夫さんに鮭を焼いてくれてすすめてくれる、という夢を見ました。
庭は現実より林のようになっていて、木に二羽のメジロが止まっており、父が
「あれ、見てみな。こっち見とるよ。可愛いな~」
と言い、母も
「ほんとやな~」
と相槌を打っていました。
目覚めた時の悲しさは例えようもありません。
失われてしまった時、二度と戻れない日常…。
まるで冷たい水底に沈んでいるようでした。
現実の両親は施設に入っていて、既に96歳を過ぎており、認知症はどんどん進んでいて、特に父は糞尿にまみれていると姉から聞きました。
母もよく失禁するようになったともー。
二人とも、夢の中のような普通の会話を交わせる状態ではないのです。
私、昨日書きましたね。
「正直な心身と向き合っていきたい」と。
「正直な心」の蓋が開いて、あんな夢を見たんでしょう。
この胸が押し潰されるような悲しみこそ、私の本心なんだと思います。
その本心ー抱えている悲しみーと向き合え、と心は言っているのでしょうか?
カウンセリングに行くことが頭を掠めています。
心理士の先生に話せば解決するという簡単なことでもないかもしれないけれど、このまま一人で抱えているよりは、いいかもしれませんね。